風景について
「風景」を意味する「Landscape」という単語は「land」「scape」と分節して読むことができる。一説には「land」を「大地」、「scape」を「逃げる」とすることで、語源を解釈できるという。私には、「Landscape」における「scape」こそが「風景」という言葉の 本質を表していると思うのだ。
私達は世界の一部をあるひとつの空間に限定し捉えることを「風景」としている。しかし実際に私達が生きる現実とは常に流動的で止まることがない。「風景」とは捕まえようにも「逃げ」去り続ける性質のものとは言えないだろうか。
大型カメラのピントグラスに逆さに映る世界の姿は時に、肉眼で見る本来の世界よりも美しい。レンズを通つた光が目の前のガラス面に描く世界こそが私にとっての『写真』だと思う。だからシャッターを押し、フィルムに焼き付けられた像はこの時点で本当の『写真』ではなくなる。像は時間からも私からもすこしづつずれて存在し私と世界の間で宙づりになる。自分が撮影したにもかかわらず、自分では見たことのない風景を見せてくれるのが写真なのである。
永遠に止まることのない世界の姿を見つめて、私は風景写真を撮り続けるだろう。
捉えられた風景は主体である私にも属さず世界にも属さない。
それは私と世界の「境界」として静かに写しだされていく。
〜写生術 photo projects vol.1 萱原里砂 リーフレットより〜